仙台で子育て③こどもと3.11を考えるー利用者さんに予定変更を伝える
「あした、こどもえん ていでんするんだって」
今日お迎えの後にこどもがこう言いました。
明日は3月11日。
息子が通うこども園からは、3月11日はシャットダウンデイをしますとお知らせが出ていました。
シャットダウンデイとは、地震による停電を想定して電気を消して蝋燭で過ごし、安全と衛生に関わるもの以外の電気を使わずに過ごすことで地震や停電について考える日なのだそうです。
「どうして ていでんするのかな?」
と息子は不思議そうな顔をして聞いてきました。
さてどこから話したらいいのかな、と考え考え、でもいい機会だからと震災について私なりにお話をしてみました。
地震、津波、停電
地図アプリを見せながら「ここがきみの住んでいる仙台。きみが生まれるずっと前に、大きな地震がこのあたりであったの」
地図に興味はあっても、日本地図はまだ広すぎて「ふうん」といった感じです。
けれど話が津波の話になると途端に真剣な顔つきになりました。
「地震のあとに、津波がこの辺にきたのね。津波ってね、水だけじゃないんだよ。普通の波は水がバシャンとなるけど、津波はこーーーんなに(両手を広げて)たくさんの水がどーんと押し寄せる。しかも砂浜の砂も、車も、壊れた家の柱も全部巻き込んで押し寄せてくる。砂と車と柱が混ざった水が目の前にきたら、助かると思う?」
「思わない…」
「そう。だから津波に巻き込まれて死んでしまった人がたくさんいるの。でもね、助かった人もたくさんいるの。どうしてだと思う?」
「わかんない」
「逃げたからだよ。津波がこれない高いところに逃げたの。だから助かったんだよ」
「じゃあ、こども園には津波こない?」
「うん、高いところだからこないよ」
ふう、と少し安心した顔つきをしたところで、今度は停電の話に移ります。
「地震と津波で電気を作る工場が壊れちゃってね、電線が壊れたところもたくさんあったと思う。それで、停電になっちゃったんだって。だから明日はこども園を停電にして、地震のことを考える日なんだって」
「それで、ろうそくつけたりするの?ぼく、かいちゅうでんとうがいいなー」
死について考えること
息子にとって、一年前まで死は遠い存在でした。
3歳半ごろに、絵本か何かで知ったのか「しぬってどういうこと」「かーちゃん、ずーっとしなないでそばにいて」(それは無理)と毎日のように聞いてきた時期がありましたが、いつのまにか落ち着きました。
けれど一年前に私の両親が不慮の事故で亡くなりお葬式を経験したことで、彼にとって死は遠い存在ではなくなりました。
むしろ、彼にとって「死」は、家族みんなで気遣い合い、支えていくものとなりました。
だからこそ、あえて「地震や津波で死んでしまった人がたくさんいる」と息子に話します。
そして「自分や家族が死なないために必要なこと」を教えるようにしています。
「死」と「生きるために必要なこと」をセットにして話すことで、息子も「死は怖いけれど○○したらいい」と前向きに捉えてくれているようです。
15年前のあの日
息子に3.11の話をしながら、あの日は私は仕事中でバタバタしてたなぁと思い返しました。
初めて勤めた神奈川の多機能型の知的障害者施設(代表と出会った施設へ転職する前の話です)で仕事中のことでした。
その日は特に忙しく、後ろでクッキー生地をこねる機械の調子をみながら、前でクッキー生地を棒状に丸める作業をしながら、利用者さんに「次は○○してください」と指示を出していました。
すると向かい側で作業していた利用者さんが「あ、地震だ」と天井からぶら下がっているコンセントコードを見ながら言ったのです。
後ろを振り返ったり前を見たり横を見たりとクルクル動き回っていた私は「また冗談言ってー」と言いかけ、体を止めてみてようやく揺れていることに気付きました。
利用者さんには机の下に頭を隠すように言い、オーブンを消し、作業室のドアを開け放って、向かいの事務室の職員の指示を待ちました。
神奈川ですから、そこまで大変な揺れではありませんでした。
けれど運転していた先輩は道路がぐにゃぐにゃ揺れたと話していました。
その後のことはあまり覚えていませんが、今でもはっきり覚えている2つのことがあります。
1つは津波の映像です。
揺れが落ち着いて、作業時間も終わった頃、事務室の職員がしまわれていたテレビを引っ張り出し(トラブルのもとになりやすく片付けていたのでした)、震災の情報を集めていました。
そのテレビで流れている映像を私は理解できませんでした。
「それは映画か何かですか?」と聞いた覚えがあります。
そして「いや、本物だよ」と主任に言われました。
それが東北の津波の映像でした。
非現実的過ぎて、「よくわからない」が正直な感想でした。
もう1つ覚えているのが、普段1人で帰宅している人でも緊急時のためご家族がお迎えにきてから帰宅していただいていたのですが、ご家族の到着が遅くなり帰れないことにパニックになっていた利用者さんの姿でした。
「ご家族が来るまで待っていてください」と話しても、「まだ帰りません」と話しても、帰ろうとする彼に困った職員が自動ドアの電源を切りました。
利用者さんは自動ドアが開かないことにさらにパニックになっていたのを覚えています。
緊急時にこそ必要なこと
パニックになった利用者さんは、いつもルーチンで行動している方でした。
普段は物静かな方で、発語はあるものの、あまり話をされない方でした。
私たちは普段から口頭でやり取りをして、その方は「はい」「ちがう」などお返事をしてくださることが多かったと思います。
いつもルーチンで行動されていたので、毎週ある音楽の時間が急にお休みになると、しまっている音楽の部屋の前で1人困ったようにロッキングしながら待っていたことが思い返されます。
つまり、私たちはその方へ口頭で予定変更を伝えていたつもりでしたが、それは全く伝わっていなかったのだと、今ではわかります。
もしも、普段から予定変更をその方にわかるように伝える方法を見つけられていれば、震災の日にその方があんなにもパニックになることはなかったでしょう。
もちろん緊急時ですから怖い思いはされたでしょう。
でも「どうして帰れないのか」「どうして自動ドアが開かないのか」とパニックにさせてしまうようなことにはならなかったでしょう。
緊急時にこそ役立つ「予定変更の伝え方」。
ルーチンで行動していくことの怖さ。
それを改めて思い出したのでした。

就労継続支援B型事業所イアンべの副代表。ルーテル学院大学福祉学科卒。大学在学中から知的障がい者余暇活動グループのボランティアに参加、卒業後は知的障がい者施設や発達障がい者専門支援施設 横浜やまびこの里に勤務。また、企業主導型保育園総務リーダーを担い、手ぶら登園の推進に努める。2024年仙台に移住、クリーニング師取得。執筆中の大半は膝の上に猫がいる。


